私が2回目の転職を決意したキッカケについて

私は、当初は、新卒で流されるまま、学校からの紹介で民間企業に入社しました。

その後、2社目では民間企業とは違う理想的な様々な制度が充実した業界で活躍する形で転職後の世界を謳歌しておりました。

しかし、その組織に入社して5年目あたりに問題がおきました。

その組織は体育会系の組織で、毎日の体力錬成が義務付けられておりました。

このまま定年まで何事もなく行けると思っていたのですが、

私には身体の特徴的な部分としまして、左右で1cm程の身長差があり、

これが原因で基本的な走り方が右よりに比重が掛かった走り方になってしまい、体力練成メインの組織において、走ることが辛くなってしまいました。

また、それ以外の実務でも足を引っ張るような形で上手く仕事をすすめることができずに、次第に追い込まれていく自分自身がいました。

そこで、私は、関連する業界に行ける道はないかと思い模索する形となりました。

 

私が、辞職してから転職活動を許されなくなった

私は、辞職してから転職活動をすることができない状況となっておりました。

それは、家族の存在です。

国家の組織に身を置いてから、5年目が経過して私は、既に結婚を控えている状態で、無収入になることができない状況になっていました。

このことから、私の中で家族を配偶者を抱える身として、最低条件で一日も収入を絶やすことなく転職して成功させると言うのが前提条件しました。

また、もし、国家から国家、若しくは国家から地方へと一日も間を空けずに転職すると、退職金が国家間の組織同士で引き継げると言うメリットがありました。

ですので、それを狙い転職活動を行いました。

共済年金の存在が一番大きく、共済年金→厚生年金→国民年金と言う形でありましたので、公務員で居続けるメリットは相当大きく、

当時は公務員として30年以上勤続することができれば、退職金は一般職員で2000万円程度は引かれて頂けると言う形でありましたので何としても一日も間を空けずに、3月31日退職の4月1日付け採用を狙う形となりました。

 

国家組織から国家組織へ転職が成功し、内定を頂いてからの壮絶なイジメ

私は、とにかく、手当たり次第に日程を見て試験を手当たり次第に受ける形となりました。

もちろん、合格が決まるまでは今の組織を意欲がある!

継続する意思がる!

と強調する形で仕事も今まで以上に本腰が入り、高めていける形になりました。

そこから程なくして、異なる省庁の組織に国家公務員として内定が確定し、特別職国家公務員から国家公務員へと引き継げる状態が整いました。

そして、上司に内定したことを打ち明けた瞬間から組織による嫌がらせが始まりました。

過酷な仕事を押し付けられて更に、その仕事を終える段階で「応援に来なかった!」と言う形でイジメを受ける形となり、

また、汚い仕事も押し付けられる形となり、妬みが交錯する嫌な組織と化しました。

それにも我慢して耐えて、ようやく念願の組織へ引き継ぎが終わり、異動できる形となりました。

ここでポイントになったのは、やはり一日も空けることなく退職すると言う形でありました。

これにより事実上は退職ではなく国家間の異動と言う形で、人事上は「出向させる」と言う形になりましたので、この転職活動は非常に成功であったと思いました。

内定を打ち明けてからの妬みやイジメも、実際に耐えて異動できれば何ともないものでありました。

 

転職のその後

公務員→公務員へ内定し異動できたので、給料は特別職の俸給表から公安職への俸給表へスライドする形となり、また、級の昇格と言う形で、昇給と昇格のダブルの奇跡が起こる形となりました。

官職も昇格するような形で、給与表がスライドして上がった上に、官職も上がる形となりましたので、やはり国家間の異動はメリットでしかないと思っておりました。

退職金も通算して引き継がれる形となりましたので、成功したと確信しておりましたが、身分も係員から課長補佐と言う職務になり全てが上手くいくと思っておりました。

しかし、現実は甘くなく、その新しい施設での組織におきまして、1級と2級の職員が大半在籍している中で3級からの職務スタートと言うのは、壮絶な妬みの対象で全ての課から嫌がらせを受ける形でのスタートとなりました。

また仕事量としても一般の職員では到底抱えきれない業務量を背負うことになり、結局転職には成功しましたが、毎日の嫌がらせと仕事ができないことによるイジメが始まる形となりましたが、給料が10万円以上アップした業界を捨てることはできず、今度は幹部になって見返そうと思い、上級職の試験にチャレンジしております。

 

 

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